阪急能勢電鉄「多田駅」徒歩3分。
診療時間 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 | 祝 |
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9:00~13:00 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | × | × |
14:00~18:00 | ○ | ○ | ○ | × | ○ | × | × | × |
休診日:木、土曜午後・日曜・祝日
こんにちは。院長の川島 陽(かわしま よう)です。
歯科医師となっておよそ15年、これまでたくさんの患者さまやスタッフとの出会いに恵まれながら、真摯に診療に携わってまいりました。
私たちは、「患者さまが安心して通える歯科医院でありたい」という思いを大切にしています。そのためにも、患者さまのお話にしっかりと耳を傾けること、ご納得いただけるまで治療の説明を行うことを徹底しています。正確かつ丁寧な治療によって、当院を訪れるすべての患者さまに、不安なく治療に臨んでほしいと願ってやみません。
お口のことで悩みを抱えている方、歯を大切にしたい方……そのような方こそ、ぜひ当院へとご相談・ご来院ください。
皆さまのお越しを、スタッフ一同心よりお待ちしております。
歯科医師
1982年歯科医である父の三男として高知県で生まれました。小学生、中学生と普通の子供だったと思います。あえて言えばクラスに一人はいるお調子者でした。自然豊かな高知県で夏休みはセミをとりにいったり、川に遊びにいったり今では本当にいい思い出です。
高校は土佐塾高校という高知の進学校へ通いました。部活は軽音楽部に入りギターを担当して同級生とバンドをしていました。この頃は将来の明確な夢もなく漠然と何かの研究職につければいいなという思いはありました。しかし歯科医である父は私に歯科医になって欲しいという思いがあったのでしょう。半ば強引に歯学部への進路変更へとなりました。今思うと自分の意思がなく恥ずかしいのですが、それが当時の自分でした。
歯学部へ進学を希望していなかった私は、当然歯学への興味はあまりわかず憂鬱な日々を過ごしていたことをよく覚えています。将来歯科医として診療している自分が全く想像つかなかったのです。しかし、私の気持ちとは裏腹に、順調に進級し国家試験も無事に合格しました。大学院に進学して研究するという道もありましたが、これ以上親に経済的負担をしてもらうわけにはいかないと思い勤務医になることを決めました。
最初の就職先は大阪の梅田で開業されていた川村先生の診療所でした。川村先生との出会いで私の人生が全て変わりました。本気で仕事に向かう姿勢。心の底からかっこいいと思いました。憧れました。私の人生でこんな気持ちになったのは初めてでした。
当時川村先生は79歳でした。今思い返しても信じられない若さです。きっと歯科への情熱がそうさせたのでしょう。本当に大切なことを教えていただきました。川村歯科での私の仕事といえば、川村先生の後ろに立ち見学とアシスト、準備片付けだけでした。同級生がどんどん色んな診療をし、技術を身に付けているという話を聞くたびに悔しくなりました。
しかし、院長になった今では分かります。たいして役にも立たない私に給料を出すのはどんなに大変だったでしょう。そんな私に技術より前に身に付けることを背中で教えて下さったのです。技術より前に仕事に向かう姿勢が大切だぞと。
川村歯科は川村先生が80歳で引退されたのをきっかけに退職しました。それからは何軒かの歯科医院でお世話になりました。本当にたくさんのことを教えていただきました。
勤務医時代の後半は無茶苦茶な働き方もしました。常勤の勤務先で週5勤務、非常勤の勤務先で週2。合わせて週に7日働きました。休んだのは盆と正月の数日のみです。本も買いあさって読みました。給料のほとんどは歯科に使っていたと思います。自分が成長していくのが分かったので、休みはなかったですがとても充実した期間でした。
その時代に技術や知識が飛躍的に伸びました。おそらく普通に週に5日働いて週に2日はきっちり休みをとっていたのでは今とは全く違う自分になってたと思います。
勤務医歴も10年に近づいて来たころ縁があって川西多田の場所を紹介していただき、そこで開業することを決めました。
開業してから沢山の方に来院していただきました。歯医者は行くまでにとても勇気のいる場所だと思います。その気持ちに応えるため、これからも歯科医療に本気で向き合いたいと思っています。
皆様への感謝を胸にこれからも全身全霊努力して参りたいと思っております。どうぞこれからもさくら木歯科をよろしくお願い致します。